• 【わたしも履歴書10】「一足お先に」と去って行った中澤さん

【わたしも履歴書10】「一足お先に」と去って行った中澤さん

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僕にとって敬愛する先輩は数々いるのですが、中でも相当仲良くさせてもらったうちの一人が元SHIPSのプレスだった中澤さん。
ちょっと尋常じゃないくらい面倒見が良くて。
もしこれまでの人生の中で『後輩への面倒見が良い人ランキング』を作るなら最初から殿堂入りしちゃうくらい別格なのが中澤さん!ってほどでした。

仕事面でいうと、僕が90年代からSHIPSのカタログのディレクションをするようになってその担当が中澤さんだったので、コンセプト出しからキャスティング、ロケ先、スタッフィングとあらゆる場面でやり取りをしていました。
ただ細かいところは一切口出しせず冒険したような企画もOKしてくれた、度量の深いクライアントでした。

 

セレクトショップが世のファッションシーンのメインストリームになると全体的に売上が右肩上がりとなり、それに伴って広告予算も潤沢になっていきました。
UAなんかテレビCMとかやってましたし。
SHIPSも当初は国内でスタジオやロケで撮影していましたが、2000年代に入ると海外ロケも増えていきます。
カタログだけじゃなくて雑誌でも海外とかよく行ってましたから。
中澤さんとはBeginの撮影でイタリア行ったなぁ。フィレンツェからいくつかのファクトリーを訪ねながら最終的にナポリまで。途中に寄ったヴィチェンツァでピチという極太パスタ食べたのを妙に鮮明に覚えてます。

 

(Beginのイタリアロケ。この時ピチ食べたのかも?)

 

カタログでもハワイ、NY、マイアミなどいろんなところにいっしょに行きました。
ハワイではフォトグラファーで参加した熊谷隆志に無理やりサーフィンやらせようとして、隆志がマジでやろうと突如ドレッドを断髪したり、マイアミでは歴史のあるレストランで僕と中澤さんだけショートパンツで行って入店拒否されたり・・・思い出は尽きません。

 

もちろん東京の夜も思う存分楽しませてもらいました。
それまで西麻布や青山でばかり遊んでいた僕に対して、ホンモノの江戸っ子だった中澤さんは銀座や浅草の遊び方を伝授してくれました。
あと、ホテルのバーの使い方とか。たまに帝国ホテルのインペリアルバーで待ち合わせするんですけど、ボーイさんと仲が良くて最高の席に案内されたりして。
でも「一杯、サクッと飲むだけならそんなに高くないよ。」なんて教えてくれたり。
実際には奢ってもらってたのでホントは僕に気を遣わせないためのエクスキュースだったのかもしれませんが、そんなところにも面倒見の良さが表れてますよね、今になって思い返すと。

 


(多分2013年頃。UA吉原さん、中澤さん、僕といつものメンバーで。)

 

僕なりにどんな恩返しができるか考えて、50歳の時のバースディパーティーの幹事をやらせてもらいました。
いいバイブスのパーティーだったな。


それと追悼の会も。残念なことに2017年3月3日に中澤さんは亡くなりました。
イベントは根っから楽しいことが好きだった中澤さんにお似合いの会にしたいと思い、恵比寿のリキッドルームの2階を会場にDJ、SHIPSバンドの演奏、服道楽だった中澤さんの私服を集めたフリーマーケットとか盛り沢山の内容に。
あと僕も含めみんな中澤さんの人生の全てを知っているわけではないので、子供の頃からの写真を集めて写真集を作って参加者へのお土産にしました。
表紙のイラストは画伯こと綿谷寛さんにお願いして最高にハッピーな中澤さんを描いてもらいました。
タイトルの通り『中澤さんのグレーテストヒッツ』な人生を一冊に込めたつもりです。

当時のBeginで仲の良かった編集長やセレクトのプレスとは今もお墓参りに行ってます。

上野の寛永寺が墓地っていうのも江戸っ子っぽくて、やっぱり中澤さんはカッコいいなって今でも思います。

 

次回は僕にとっての先輩の話をもう一人。お楽しみに!