• 【わたしも履歴書17】スタイリストの仕事「BRUTUS」編

【わたしも履歴書17】スタイリストの仕事「BRUTUS」編

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さんざん昔話に花を咲かせてきましたが、フイナムブログをご覧の皆さん、僕の仕事をもう一度思い出してみてください。
そうです、僕の本職はスタイリストなんです(今さら当たり前ですけど)。
じゃあ、なんでスタイリストとしての思い出話が『わたしの履歴書』に書かれないのか?その理由はスタイリストという職業ならではの性(サガ)があるのです。
僕が30年以上スタイリスト業を続けてきてつくづく実感するのは「スタイリストって流れていく仕事だなぁ」ってことです。
ひとつ一つの仕事の成果がキッチリ留められるのではなく、連続していてサーって流れていくように、いつの間にか泡みたいに消え去っていくような感じ。
それはまさにファッションと同じです。
もちろん対象物がファッションなのですから当たり前なんですけど、ある意味刹那的でもあります。

 

例えば年に2回行われるコレクション。
僕は一時期ミラノ〜パリのメンズコレクションを見に行ってましたが、今も心の中に印象深く残っているショーはそれほど多くありません。
ドリス ヴァン ノッテンのいくつかとラフ シモンズがどこかの学校を舞台にガラス越しにモデルを歩かせたショー。
途中から雨が降ってきてすごく幻想的だった。あと、ミラノでドルチェ&ガッバーナのショーにナオミ・キャンベルが登場して携帯で写真を撮ったらセキュリティにメッチャ怒られたこと(当時は写真NG)。
あれだけスペクタクルなショーを山ほど見続けてきてもそんなもの。
スタイリストがいくらカッコいいスタイリングを作って最高のフォトグラファーが最高のビジュアルを撮影したとしても、記憶と歴史に残るようなものはほとんどありません。
でもそれこそがファッション写真だし、その流れている感じこそがスタイリストのカタルシスでもあります。

 

そんな中、わりと心に残っているのが2000年代後半に携わっていたBRUTUSのファッション特大号です。
当時は雑誌に広告が集中していて(そもそもインターネット広告という概念すらなかった)、その恩恵を受けて海外撮影にもしょっちゅう出掛けて行きました。
それまでもBRUTUSでは自由度の高いファッションストリーを作らせてもらっていましたが、2006年秋冬号でフィンランドに行ったときのことはよく覚えています。
今ではユニクロのクリエイティブディレクターとなった元POPEYE編集長の木下さんが担当で、いっしょにフィンランドのヘルシンキまでロケに行きました。
日本からは僕と木下さんのみ。あとのスタッフは現地の人でヘアメイクは確かサロンの人じゃなかったっけ。秋冬の号に掲載するためには夏に撮影しないと間に合いません。
北欧は白夜で昼間ロケハンして一度ホテルに戻って仮眠して深夜に撮影とか。
でも真っ暗にならないので敢えて自然光で撮ったりしてそれがイイ雰囲気になったり。
あと森の中で撮ってたら蚊の大群に刺されまくったり。

 

(ヘルシンキの中央駅や薬局のウインドウでの撮影。ともに深夜だった。)

 

それと僕にとって新たな手応えを感じることができた大事なファッションストーリーが2008年春夏の号で行ったオーストラリアのバイロンベイです。
フォトグラファーは大森克己さん。それまでも何度か撮影をしていたんだけれど、ナチュラルなのにインテリジェンスがある大森さんの佇まいに憧れていたし、この号一冊を貫くテーマ『エターナル ボーイズ』と大森さんの写真がピッタリだと思って。

現地での1週間はとてもメローでハッピーなものでした。
ヒッピータウンでもありサーフスポットとしても知られているこの地で、まるで友達同士が旅に来たみたいにスナップ撮影するかのようなムード。
でも着ているものはトップモードで且つ最終的にはファッションストーリーとしての落とし込みがなされていないといけない。
なので帰ってからの写真のセレクトと構成には相当気を配り、ものすごく時間をかけた覚えがあります。中には風景写真のみで服が一つも写っていないページも組み込んだりして、今見返してもかなり大胆な構成でした。
でも旅の写真日記のような少しセンチメンタルな少年性みたいなものは表現できたかな、って思っています。

でもそれ以外のまさに「流れていってるような」仕事こそスタイリスト然としたものでもあり、その刹那的な気分の裏返しが今度のEDISTORIAL STOREの設立にも繋がっていくわけですが、そのお話はもう少し先にさせてください。

ではまた次回。