90年代に入ると東京のファッションシーンはぐんぐんと加速していきます。
MADE IN WORLDは並行輸入の品揃えから新進気鋭のドメスティックブランドのセレクトショップに進化し、それと共にもの凄く売り上げを伸ばし続けます。
当時は国内のインディペンデントなブランドが置かれているセレクトショップが存在していなかったので、ブランドを設立するとMIWに声が掛かっていました。
彼らはみんなスタッフの友人たちで、そこから生まれる独特のグルーブ感がカッコ良かった。
またブーちゃんの人柄の良さもあって、彼の周りにどんどん人が集まってきてる感じでした。「SOPH.」を設立する前の清永くんとか「Supreme」の日本の代表となった大村とか、MIWのオフイスを間借りしてその後大きく羽ばたいていったり。
僕も横目でそんな彼らのステップアップを見ながら自分なりの成長を目指してトライしていました。
そして1995年、自らが代表となる会社を設立します。
名前は「FUTURE INN/ フューチャーイン」。
この少し前に独立して各種メンズ雑誌やセレクトショップのカタログ制作など、今と変わらない仕事をスタートさせていました。別に会社を作ることが目的ではなかったけれど、その方が仕事がまとまりやすいから便宜上、法人にしただけって程度の気持ちでしたが。
とは言え御多分に洩れず、僕もMIWのオフィスに間借りしてたんですけどね。
ただ、僕より5、6歳若い彼らとの日々もまたエキサイティングなものでした。
当然MIWのディレクションにも携わっていましたし、ドメブラ以外にも海外ブランドの買い付けもやっていたのでかなり頻繁に海外出張に行ってました。
一番多い年で一年間に13回出掛けた時もありました。
この時代、別のベクトルでファッションシーンを俯瞰すると『セレクトショップブーム』がスゴかった。
セレクト御三家と称される「BEAMS」「SHIPS」「UNITED ARROWS」が雑誌Beginで取り上げられ、それに伴ってプレスという職業が花形となっていきます。
今のBeginの礎はこの時代まで遡れるというわけですね。
僕もこの雑誌でスタイリストの仕事をしていました。
プレスの人たちも誌面にガンガン登場して彼らが更なるブームの火付け役となっていきます。
そしてこれまた彼らとは仕事という垣根を越えて仲良くなり、結果夜の街へと繰り出すという、いつものパターンに。
なんででしょうね?今こうして履歴書を書いていると「またこのパターン・・」ってなっちゃいますけど、とにかくそんな日々が楽しかったし自然な流れでした。
(当時のBegin。左からUA吉原さん、SHIPS中澤さん、BEAMS金田さん。文字通り『飛ぶ鳥を落とす勢い』ってヤツでした。)
ちなみに当時のBeginでの人気連載企画が『10年選手モノ語り』。
このフイナムをはじめとしたファッションコングロマリット(苦笑)を作り上げた蔡さんが、10年愛用した自らの私物を雑誌で紹介するというページでした。
蔡さんのベーシックでエバーグリーンなファッション感覚がもの凄くパーソナルな語り口で展開されて、それがのちの復刻や別注品ブームのきっかけになったんじゃないかな。
「ニューバランス1300」「チャンピオンのリバースウィーブ」などなど挙げるとキリがないけど、蔡さん自身の普段着だったモノだけに説得力があった。
たまに「フローシャイムのコブラパンプス」みたいにコケたネタもあったけどw。
それにしても振り返ってみると蔡さんとは80年代後半には出会っていて90年代には雑誌もかぶっていたわりに、今ほど仲良くしてたって印象ないんだよなぁ。
まさかそれがこの歳になって一緒にカニ食いに旅行するほど仲良くなるとは当時はつゆ知らず・・・ってヤツですね。
当時僕が本当に仲良くさせてもらってたのはセレクト御三家の一角SHIPSのプレス、中澤さんなのですが彼から学んだ懐かしの日々については、また次回にさせていただきます。